発達障害男が死ぬまでの雑記

40が近づいてきた独身発達障害男が死ぬまでの雑感記録

幼稚園で「情緒障害」

当時はまだ「発達障害」という言葉がなかった。

幼稚園での、不安や憂鬱「どうしていいかわからない感」まだ言葉にすることはできなかったが、「極端な頻尿」という症状があったので、先生によるレフェリーストップがかかった。

幼稚園自体は退学?にはならなかったが、別途カウンセリングセンターのようなところに通うこととなった。

知っている人は知っていると思うがカウンセリングの大家カール・ロジャース派の施設(病院ではない)で、病院でもないし当時は投薬という選択肢はほとんどなく、プレイセラピーを受けた。

実感としては効果はほとんどなかったと思う。

 

残念だけど、発達「障害」は治らないのだ。

 

並行して幼稚園にも通っていたのだが、無論友達などいなかった。

親も障害を理解する勉強はしていなかった・・・責めたい気持ちも無いではないが、時代的にしょうがないという部分もあるだろう。

知的障害だったらもっと手厚いケアが受けられただろうが。