発達障害男が死ぬまでの雑記

40が近づいてきた独身発達障害男が死ぬまでの雑感記録

【中学校時代】完全自殺マニュアルの思い出

中学時代もいじめられてばかりだった。

成績は良かったが、身だしなみもよくはなかった。寝ぐせなんかもあっただろうし床屋もろくにいかなかった。

両親は何も言わなかったな。

当時「完全自殺マニュアル」がブームとなった。

実はこれ以外にも自殺指南書というものは昔からあったのだが、こんなカジュアルな本は初めてだった。

結論は首吊りが一番。

柔道を少しやってたので、いわゆる裸締め(チョーク)が苦しみなく死に至る道であることは知っていた。

チョークにもいくつかの種類があるが基本的には肘でV字に絞める。

この「V字型」を作るために空き缶を二つ繋いで中にヒモを通すなど、色々と試みた。結局死ねなかった。

【現在】現在の症状(二次障害)

このブログは、最後の力を振り絞って書いております。

有名アルファブロガーのように文章構成は上手くありません。書ける時に書くというだけのものです。

現在の話と過去の思い出、唐突な嘆きが交錯します。

※できるだけタイトルなどでわかりやすくします

 

現在はサラリーマン、独身、結婚歴なし。

ADHDというよりはADD。二次障害としての鬱が酷い。

希死念慮が消えることがない。

仕事は勿論やめたい、だけどそこそこ給料もらってるからしがみつきたい気持ちももちろん少しある。

今日はあまりにも鬱が酷く、昨日も寝られなかったということもあり、仕事を休んだ。

何もかも怖い。

幼稚園で「情緒障害」

当時はまだ「発達障害」という言葉がなかった。

幼稚園での、不安や憂鬱「どうしていいかわからない感」まだ言葉にすることはできなかったが、「極端な頻尿」という症状があったので、先生によるレフェリーストップがかかった。

幼稚園自体は退学?にはならなかったが、別途カウンセリングセンターのようなところに通うこととなった。

知っている人は知っていると思うがカウンセリングの大家カール・ロジャース派の施設(病院ではない)で、病院でもないし当時は投薬という選択肢はほとんどなく、プレイセラピーを受けた。

実感としては効果はほとんどなかったと思う。

 

残念だけど、発達「障害」は治らないのだ。

 

並行して幼稚園にも通っていたのだが、無論友達などいなかった。

親も障害を理解する勉強はしていなかった・・・責めたい気持ちも無いではないが、時代的にしょうがないという部分もあるだろう。

知的障害だったらもっと手厚いケアが受けられただろうが。

最初にお伝えしたいこと

なぜこのブログをはじめたのか、

発達障害の方の中には、最近で言えば史群アル仙さんとか黒柳徹子とか、言ってもしょうがないけどエジソンとか、才能のある人もいて、しかしそうでもない私のような人間もいて。

何しろ治らないから・・・結婚してうまくやってる人がいることも知っている。でも僕はそうじゃない。もう40も迫ってきた。

たぶん間もなく終わる。

 

本当は症例として研究材料になるような詳細が書ければ有益だろうが、そんな気力はない。

 

最期にむけて、祈りを込めて。